寝返り

3/29 Fri

授乳後沐浴。
初めて沐浴で泣かれてちょっと戸惑う。
すぐに落ち着いたけれど。

風呂上がりにベッドに転がしたところ、ぐるり、とひっくり返る。
寝返り? まだでしょう?
まぁ、ひっくり返ったまま動けなくなっているからとりあえず戻しておいたけど。
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お昼は母と市中心に出かけ飲茶
ロクシタンで母の化粧品を買おうと思ったら、4月から新しい会員特典が始まるというので、今日はやめておく。

新墟街市付近の露天八百屋で野菜など買い、母には先にバスで帰ってもらう(バスのほうが歩く距離が短いので楽)。
私はLivingPlaza(100円ショップ)でJのために洗面器(お尻洗い)、トングと笊(煮沸後の哺乳瓶を鍋から上げるため)、手芸用品(母が日がな一日いろいろ作ってくれている)などを購入。
マニングスでお臍消毒のためにアルコールを購入(100回分21ドル、小さな紙にアルコールをしみこませ、1枚ずつ密閉してある)。

帰宅後はJと遊んで、昼寝して、夕食作って、就寝。
何かを成し遂げた感はないけど、無難に一日が過ぎた。

母嬰健康院F/Uと屯門病院血液検査

3/28 Thu

昨日から1日、というか半日でどのくらい体重が増えたか、朝から母嬰健康院にチェックにいく。
朝から小雨だったこともあり、今日は母は家にいてもらう。

計測結果2.44→2.47kg。30g増。
無理やり飲ませただけのことはある(Jにはしんどかったかもしれない)。
それでもまだ出生時体重よりも9%弱少ないので、頻回授乳と粉ミルクを与えなさい、との指示。

ついでだが、4月3日に予定されていた体格検査も繰り上げてやってくれた。
骨格、目、肺など見てくれたようだがすべて問題ないようす。
ただし、へその緒が取れた後のおへそが、出っ張っているので様子を見なさいとのこと。1歳までに死んでしまう可能性は1%未満だが、可能性はあるので、ということらしい。
帰宅後調べたところによると病名としては「臍ヘルニア」という名前になるらしい。
日本のサイトでも、見守りましょう、という指示がほとんど。
1日1回しか消毒していなかったけれど、3-4回というのが香港スタンダードらしいので1ヶ月くらいはやってみようと思う。

そして少し高めの黄疸数値。
明日から香港はイースターホリデーなので、念のため屯門病院で血液検査を受けてきなさい、とリファーレターを書いてくれた。
10時過ぎの時点で、予約は11時。
天水圍で買い物していこうと思っていたのだが残念ながらそれは無理。
とにかく屯門病院に移動する。

会計(HKD60-)を済ませ、D6に上がり血液検査。
看護婦と少し話をして、授乳室に入る。
その後医師に会うと、再度簡易測定器で黄疸数値検査。医師いわく:
 んー? なんで母嬰健康院はここに来させたのかしら。
 まだ血液検査の結果も出てないけど、本人と数値を見る限り大丈夫だと思うわよ。
 まぁ、いま分析中だからロビーで待っててね、問題なければそのまま帰れるから。
ロビーでJを抱いたまま眠りそうになりながらもとにかく検査結果を待つ。
前回数値199→197。
フォトセラピーのあとは数値が上がる可能性が高いにもかかわらず下がっているので、たとえ4連休に病院にいけないとしてもたぶん問題ないだろう、とのこと。
よかったよかった、と雨の中電車に乗り、駅前で買出しをして(かなり重かったので夕方、1時間ほど転寝してしまったけど)帰宅。

昼食を母と家で食べ、沐浴。
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箱入り(A4書類いれにすっぽりはまるコンパクトサイズ)

ずっと家にいてヒマになってしまった母に買出しをお願いする。
今回はちょっとハードルが高い「露天八百屋でチェリートマトを買う」というミッション。
出産前に家から散歩して買い物をしたのだが、一人で行くのは初めて。
LRTで蔡意橋まで行き、そこから5分ほど歩いていってもらうことにした。

母が出て少しして、雨が降り出した。
雲が厚く、暗い。
昼寝をしようと思ったけれどとりあえず起きて待っていたが、電話はかかってこない。
いい加減大丈夫かなと思った頃、母帰宅。
携帯電話の電池がまた切れてしまったそうだ。
ミッションオールクリアだったので、またお願いして買い物してきてもらおう。

母が戻ってすぐ、雷暴警報発令(母は、いつも思うけど天気運がイイ)。
空中に雷が走り、土砂降りになる。

Jは雷などにはまったく動じないの私も楽。
私の部屋は一面窓なので、雷が走るととてもきれい。
Jにはまだ見えないかもしれないけど、香港に住む以上慣れてくれたほうがいい。

夜中はGが見てくれる。
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ありがとね。

抜糸とJ健康診断

3/27 Wed

朝から小雨。

午前中はお腹の抜糸のため、天水圍普通科病院へ私一人で出かける。
HKD17-を支払。
4か所の留め具を切ってもらい、消毒してパッチを当てる。
消毒が1か所むやみに浸みたので、ちょっとまだ閉まりきってないのかなあと思ったりする。
次回は連休明けの4月2日。それまでは出来るだけ濡らさないように、とのこと。

終わってから2階に上がって天水圍母嬰健康院へ。
受付で書類を出すと、午後1:45から予約が取れた。
母に連絡し、昼食後に病院までJを連れて来てもらうことにする。

恒生銀行で、住所変更がうまくいっていなかった(銀行側のミスで、一つの口座の住所変更が漏れていたそうだ)分を直してもらう。
昼食は大快活でかき込み、病院に戻り母+Jと合流。

初回なので少々時間がかかる。
まずは体重測定。2.44kg。一番落ち込んでいた時よりは回復。

次は看護婦との面談。
家族の病歴、Jの尿、便の回数と色、授乳回数と内容、など聞かれる。
授乳しながらでもいいとのことだったので、看護婦と母が見ている前で胸を出し乳を飲ませながら面談を進める。
私の授乳中、何度もJは眠りに入る。
看護婦から指導された授乳についての内容は以下のとおり:
 肩甲骨の辺りをグリグリして起こしなさい。
 完全に眠ったときは口からはずして背中をたたいて起こしなさい。
 Jを起こしてから両側の乳をあげて再度寝かせるまで、30分以内にしなさい。
 母乳は少なくとも1日10回、体重減少を鑑みて粉ミルクは1日3回あげなさい。
  (現在は1日8回、起きたときにあげていた。粉ミルクは1日1回だけだった。
  粉ミルクを推奨はしないものの、直近2週間だけでもたくさん飲ませて
  体重減少を食い止める、という方針。安定したら母乳のみに戻せばいいとのこと)看護婦との面談はかなり長く、両乳を与え終わるあいだずっと話をしていた。
次回の面談までに、少なくとも今よりは体重を増やすんですよ、ときつく言われる。

次は医師面談。
体重減少が心配だ、とまた言われる。
そのため、翌日も来なさいとの指示。

次回のアポイントをとって終了。
私の外出予定は病院以外入っていないけれど、その割にはかなり忙しい。

J退院

最初のお乳差し入れは10:30。
30分前に行って、院内で搾乳する。
絞れたのは約30cc。
医師からは50-55ccあげるように、との指示だったので、母乳と、足りない分は調乳済みのミルクを与える。

あげたらさっさと保育器に入れ、紫外線照射してもらう。
少しでも早く終わりますように、少しでも早く帰れますように。

帰宅できるかどうか、わかるのは午後になるとのこと。
昼には飛行場へ向かわなければならない父とはもう会えない。
可哀そうな姿だけど、院内で写真を撮ったものは最後になってしまった。
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採血はかかとから、左腕は、圧迫して反応を見ている、のだとか。あとで見たところ特に傷は残っていなかった。

13:30の差し入れも一人で行って、とにかく抱っこして帰る。

14:30くらいか、病院から電話がかかってきた。
退院してもいいとのこと。
いつでも迎えに来てください、という。

買い物で蔡意橋にいたので、買い物して食事を済ませ、母に買い物した野菜を駅で渡し、抱っこ紐と着替え(まだまだだと思ったので、準備はしたけれど持ち歩いていなかった)を受け取ってして病院へ行き、引き渡し。
数値は199に下がった、とのこと。

退院手続きの前に授乳を済ませようと思ったら17時を過ぎてしまい、会計が閉まってしまう。
緊急受付窓口に行って支払い、無事病院を出ることができた。登録料HKD50-、1泊の入院費HKD50-、計HKD100-。

浮かれて駅前のスーパーやパン屋で買い物して、かなりの重量を抱えて帰宅。
とにかく、退院おめでとう。

母乳講座、そして入院

3/25Mon

屯門病院で母乳講座。
C7ののEstherSiuは本当にプロフェッショナルで、30分以上1対1(+J)だったのに居心地がいい。
くわえさせかた、抱きかた、座りかたなど実地で教えてもらった。

体重は退院の金曜よりさらに減って2.40kg。10%以上体重が減る異常事態。
さらに黄疸の具合を示す値が、簡易測定器での計測結果、かなり高めとのこと。
小児科、になるのだろうか、専門医に今すぐ見てもらいなさい、ということになった。

HKD60-を払って、指定されたD6へ。
血液検査(踵に傷をつけて採血する)、体重再測定、頭囲計測、問診の結果、黄疸が出ているのでこのまますぐに治療に入ることが決定した(ビルビリン数値が250以上の場合にフォトセラピーを受ける、という指示だったのだが、出た数値は289だった)。

D7へ移動、Jは即座に治療に入り、私は入院手続きへ。
入院用のフォルダをG/Fでもらう。
オムツは0号が売っていないので、買い出しにいく(時間がかかった上に、携帯電話が突然異常になってしまいつながらず、子供を置いて失踪した母親扱いになってしまった)。
おしり拭きは父が日本から運んでくれたものを家に取りに行く。
ちり紙は、トイレットロールを持っていく(箱ティッシュにしてね、と後で怒られるが結局持っていかず)。

マカオに向かっているGに連絡したり、帰宅して洗濯ものを干したり、搾乳したり、プラスチック製の哺乳瓶を買いに行ったり(病院からの指示)、取り乱している分やけに時間がかかる。

偶然両親はマカオに遊びに行っていて、Gもマカオで仕事の日だったので、ゆっくりマカオ料理を堪能して来てもらおうと思う。あとでわかったことだが、仮に私から連絡しようとしても1台は電池切れ、1台はローミング設定がうまくいっていなかったため、どちらにしても連絡することは出来なかったのだけど。

夕方まで病院、商場、自宅を3時間ごとにウロウロして、かなり疲れる。
まだ抜糸もしていないお腹もしくしく痛む。
残念ながら胃は元気で、ずっと行かなかったマクドナルドで食事したりしたけど。

夕方5時に公衆電話を見つけた父から電話がかかってきた。
Gとの待ち合わせ場所を、私からGに伝えてほしいという連絡だった。
ついでにJのことを話し、どちらにしても面会は親のみなので、ゆっくり食事をして帰ってきてほしいと伝える。

15分後、再度連絡があり、5時半の便で香港に戻るとのこと。
Gに案内してもらえばいつもと違うものが食べられたのでは、と思い、これもまた申し訳ない。

私は私で再度哺乳瓶を持って病院へ。
院内で搾乳して、膝に抱いて授乳。
Jは目の保護のためネット帽子をかぶせられ、紙テープで頬まで固定されているので私の顔を見ることはない(見えても、私と認識できるかどうかは別問題)。
いつものように名前を呼んで、頭をなでて、哺乳瓶を使って母乳授乳、追加で調乳も与える。

退院2日目

3月24日 日曜日

夜中(3月24日 0:41)、オムツを換えていたら、へその緒がなくなっていることに気づく。
慌てて服を脱がせて、背中側にポトリと落ちた物を発見、無事回収。

朝までお乳で格闘。何度も意識を失う。

朝から寝ぼける。
体重が少なすぎて、退院できませんよ、といわれ、今すぐお乳をやりなさいといわれる。慌てて準備したけれど、全く起きてくれない。
しばらく起こそうと頑張って、ふと我に返り、あ、もう家だ、と思ったり。小さめに生まれたのに私の力では全然大きくしてあげられず、本当に悲しい気分。

7時に1人で沐浴に挑戦。
なんとかできそう。
最悪、あとで洗い忘れたとしても翌日に重点的に洗えばいい。

Jはなんだか黄色い。こんなもんじゃない?といわれればこんなもんかもしれないけど。

9時には両親から連絡があり、そろそろ向かうよ、とのこと。
出来ることはやりたいのだけど、立っているとしょっちゅうぐらぐらするので危険。
貧血だろうけど、病院の鉄剤でも即効性はないようだ。

洗濯物干場の少ない我が家、今後洗濯物の枚数も回数も増えるはずだし、湿度の高い季節がやって来る。
買い出しにも二人で出掛けてもらい、2mx3ヶ所の物干し完成。
シーツや大判バスタオルなども干せる。

両親には屯門市中心のAEON、日本城、Pricelightの場所、そして翡翠拉麺小籠包の行き方を教え、2人だけで出掛けてもらう。

私は家で、洗濯、掃除、Jと遊ぶなどしているうちにあっという間に数時間たち、気付けば昼寝などはできず。

夜はGに外売してきてもらい、家で両親含め4人で食事。
スープと即席漬けを私が作って食べるものの、やっぱり私はほとんど一緒には食べられないのだった。

夜になって目のさえたJの写真やビデオを撮って、両親ホテルへ。

夜も格闘が続く。やっぱり元気なJ。昼間のうちに起きてほしいなあ。